ごあいさつ

私は氷見で生まれ育ち、大学入学を機に故郷を離れて70年、これまで国内・海外と事業展開に明け暮れてまいりました。
他社に先駆けて30年前に行った中国投資は数社に及びますが、中でも寧波市の会社は昨年中国のダイカスト業界で売上No.2、利益No.1と国際企業に発展しました。お陰で私は寧波市の栄誉市民の称号を頂き、二つの故郷に恵まれました。
氷見市と寧波市・寧海県との友好交流都市協定のきっかけとなったのです。

米寿を迎えて、人生100歳時代、これからの10年間、どのように生きるべきか思案をしていた矢先、東京氷見会の総会に氷見市長が出席されて、私の母校の小学校も中学校も廃校になり、統合されて9年制の新しい小・中一貫校が誕生すると報告されました。
故郷氷見に帰ってみると、街のアーケード通りはシャッターが閉まり、空き家が目立ち、耕作放棄地が散乱して若者の姿が見えない…。
「一群一市」の市町村合併当時は70,000人いた人口が、現在は43,000人(約40%減)となり、凄まじい「過疎の現実」を目の当たりにしたのです。

私の住む小田原の朝の散歩コースの途中に「報徳二宮神社」があります。手を洗いながら掲示板を見ると「昔蒔く木の実、今大木ぞ!今蒔く木の実、後の大木ぞ!!」二宮尊徳翁の有名な言葉ですが………。
実は、没落しかかった山森家を再興したのは私の祖父ですが、私が小さい時に、直角に曲がった腰をして山の急斜面に1本1本杉の苗を植えていました。私が東京に家を建てた時、祖父がその木を切り出して東京へ送くってくれました。私の瞳に焼き付いている祖父の姿が想い出されて…閃いたのが故郷に恩返しをすべく、「山森記念財団」の設立であります。
今に甦る二宮尊徳翁の「村おこし」の教訓を携え、氷見に「根っこ」を生やして、新しい街づくりに挑戦します。

未来を担う子供達の育成を基盤として、財団が行う「地域の活性化」の活動の一つ一つが、後の大木へと育っていくよう、皆さんのご協力をお願い申し上げる次第であります。

令和5年12月
山森 一男